Sunday, April 22, 2018

死を目前にして、もう一度だけ

ソ連兵の家族写真

 武装解除した九一師団は、ソ連軍の許可を得て戦場整理を始めた。戦場整理とは戦場に残る遺体を回収して葬ることを指す。…近くの草むらを見渡すと、一体の遺体が横たわっているのに気がついた。軍服からソ連兵に間違いなかった。
「あれっ。ロスケが死んでいやがる。この野郎、攻めてきやがって」
小田らは悪態をつきながらさっそく近づいた。…ソ連兵は四嶺山の方を向いて右半身を下にして倒れ、左手を伸ばして、その手の先には何かを握っていた。…
「この野郎。何を持っていやがる」
小田が手を伸ばして確かめると、それは黒い手帳だった。小田の指先が触れた拍子に手帳が地面に落ちて、手の中には一枚の写真だけが残った。小田が手にしてよく見ると家族写真だった。
 海軍士官の軍服姿の男が右に立っていた。死んだ本人だった。左端にはマリア様のような美しいロシア人女性がつつましい笑顔を浮かべて並び、真ん中には四歳ぐらいの男の子がいた。…小田は、女性は妻で家族写真に違いないと確信した。
…そこにはある家族の幸せな暮らしがあった。
この写真を見たとき、小田は雷に打たれたような衝撃を感じた。
「こんな美しい奥さんとかわいい子供を残して、この男はなぜ死ななければならないのか。とっくに戦争は終わっているはずなのに」
小田の目に涙がにじんだ。…このソ連軍将校は死を目前にして、もう一度だけ妻や子供の姿を見たいと胸ポケットの手帳を取り出そうとしたのではないか。…小田は手帳と財布を将校の軍服の内ポケットに納めて、胸のボタンを締めてやった。もう二度と大切な宝物を落とさないようにと。


相原秀起『一九四五 占守島の真実』