Sunday, October 21, 2012

臆病者はなぜ地獄に堕ちる?

おくびょうな者、....すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、彼らの受くべき報いである(黙示録21:8

    【アニメで学ぼう!集団ストーカー犯罪者の心理 2


  (集団ストーカー犯罪者更正教育用ビデオ:まんが日本昔ばなし「かっと石」)

  これは、臆病者は本物の平和主義者や民主主義者あるいは道徳的人間になれないというお話。例えばアメリカは官民で組織されたギャング(集団)ストーカー犯罪者が跋扈する“フェイク民主主義”の国にすっかり成り下がってしまった。そのため、真の民主主義者はCOINTELPRO集団ストーカーによって非合法そして秘密裏に迫害、抹殺されている。だから真の勇者でなければ民主主義すら貫けないというわけだ。このように現実の集団ストーカー犯罪を観察することで、昔ばなし「かっと石」の意味が確かめられる。


  さてこの昔話「かっと石」にでてくる「マサカリ」は集団ストーカーにとっての­携帯電話やパソコンなど通信端末機器に相当する。この端末により、「権力犯罪者」組織が独占する非公開の電磁兵器やプライバシー窃盗装置にアクセスできる。そして個々の集団ストーカー実行犯は、根がどうしようもなく臆病なの­で、集団ストーカーという犯罪組織と常に繋がって、集団で犯罪していなければ一日も生­きられず、端末が手放せなくなってしまったというわけだ (ちなみにこの状態は、集団ストーカー犯罪に依存して孤独感を回避する神経回路が確立・強化された状態、とも表現でき、Neuroplasticityがカルマに譬えられる所以でもある)。

 例えば権力犯罪コインテルプロ(集団ストーカーの原型)に従事する腐敗警官などにしても、「特殊な方法で彼らの無線をカットしてやると、集団ストーキング中の腐敗警­官は慌てふためく」という内部情報通からの証言もある。この権力犯罪「集団ストーカ­ー」は、本家である英語圏の国では“ギャング”ストーカーと俗に呼ばれている。英語で「ギャン­グ(gang)」の原義は「群れる」こと。臆病だから犯罪やるのも「群れで」とい­うわけだ。では何故、それほどまでに臆病になるのだろうか

  その答えを探るため、まず、名著の評判高い岡田尊司著『人格障害の時代』で彼ら集団ストーカー犯罪者の心理を探ってみよう。好んで凶悪卑劣な集団ストーカーという犯罪を行ない、人の苦しみを見て喜ぶ彼ら、彼女らは人格障害の疑いが濃厚だからだ。


「(長い間、服従していた被害者が)人間的に対等な関係に
目覚めたり、実像よりはるかに肥大化した、はりぼての自分(加害者)の価値に気づいてしまうのではないかと不安なのです。この点では、暴力をふるっている加害者の側も決して自信に満ちているわけではありません。見透かされはしないか、正体を知られはしないかと終始汲々として、その不安を解消するために相手を暴力で封じ込めようとするのです。」(p.116)
http://gangstalking-crime-databease.blogspot.com/2011/01/blog-post_29.html


  ではこの「見透かされはしないか、正体を知られはしないかと終始汲々」する、実は臆病な犯罪者のオッサンの群像について、少しばかり時代を遡って具体例を考察してみよう。日本では、あまり知られていないが、「ア~イ ハヴァ~ ドゥリーム・・・」の演説で有名な、かの黒人キング牧師も集団ストーカーの元祖にあたる権力犯罪「コインテルプロ」の被害者だったのだ。キング牧師は長年に渡りコインテルプロ工作員たちから執拗なつきまとい&嫌がらせを受け、何度も自殺を強要されていた。このことは、米国の町の小さな図書館に置いてある本にも載っているくらい、既に公然の歴史事実である。

 ところが、似たような話は他にもあった。FBIといえばドラマなどで、泣く子も黙る威厳と風格のあるイメージを我々は刷り込まれているものだ。だが実は、この国のコインテルプロ実行犯(主に白人)たちは、これまで己が侵略・搾取し、虐げてきたマイノリティたちに、いつ復讐されはしまいかと内心ビビりながら日々過ごしているのであった。そんな白人支配階級の不安を少しでも和らげるために雇われたのがFBI工作員というわけだが、この工作員がなんと「権力の犬」ならぬ「権力の田代まさし」だったのだ。


【権力の田代まさし



~ FBI捜査官が繁みに隠れてインディアンのダンスをノゾキ見

(そのシャツを着れば、敵が放った)弾丸を通さなくなるという「ゴーストシャツ」の教義を始めたのは、スー族の呪い師、キッキングベアだった。このため、連邦政府は、この教義でインディアンがより反抗的になるとして、ことにスー族に対し徹底的に弾圧を加え、ウーンデッドニーの虐殺が起こった。この大虐殺で、信者が全滅したことで、ゴーストダンスは急速に廃れていった。100年を経ても連邦政府が、銃弾を厭わなくなるこの教義をいかに恐れているかは・・・1975年に、ウンデッドニーで(ネイティブ・アメリカンらが)ゴーストダンスを復活させた際、連邦捜査局(FBI)捜査官が繁みに隠れてこれを監視していたことからも推し量れる。(WIKIPEDIA 


 このように、アングロ民族によるアメリカ侵略とネイティブアメリカン迫害の歴史において「ゴーストダンス」と呼ばれる儀式が流行した時期が1800年代にあった。その後、ネイティブアメリカンたちが「これを着れば敵の弾丸を通さず不死身になれる」と信じた服を着て踊る「ゴーストダンス」を、「1975年」といえば昭和も50年代に入った年だが、そんな現代に復活させたことがあった。その時このシャツを着て踊りまわるネイティブアメリカンたちを、FBI工作員たちがビビりながら、「田代まさし」よろしく「茂みに隠れてジッと覗き見していたというのだから、まったく事実は小説より愉快なりだ。なぜここまで臆病になるのか?なぜなら、日頃から人の恨みを買うようなことをしてきたからだろう
・・・と、この程度の心理分析ならが、集団ストーカー犯罪者に阿り、精神病のでっちあげに協力しているその辺のインチキ精神科医や心理学者でもできる。ここはひとつブログ<集団ストーカーの死>らしく、月並みな心理分析のレベルを突き抜け、生死の境界をも跨ぐ「真理分析」に入ろう。再度問う。人はなぜ臆病になるのか? 


人が無明や他の因縁により、生ある者という概念を持った時、生の衰える病や老いなどの苦を抱え、生の絶たれる死という苦が生じる。
誤った認識により、生あるものと、生の無いものという分別が起こり、それによって多くの苦が生じるのじゃ。
生あるものであるという概念が、他から離れたものである個我という概念を生み、他から離れた不安と恐怖の苦の海を転変としていく。
それが輪廻というものじゃ。
本来は他との隔たりは無く、一つのものであっても生あるものという分別が苦を生じる因となるのじゃ。
例えば一つの部屋にいろいろな地域から来た人が、何人も入っているとしよう。
何もしなければそのままじゃが、互いに皮膚の色や髪の色などで分別し、仲間を組んだりすると、喧嘩が始まったりする。
分別によって他から切り離されたと思う者が、他を恐れ、不安に思うからなのじゃ。(ブログ:鬼和尚の仏教勉強会「生の滅とは何か。」)
http://onioshyou.blog122.fc2.com/blog-entry-68.html


  つまり個我という概念が生み出す「他から離れた不安と恐怖」が臆病者をつくり、彼らを集団ストーカー犯罪へと駆り立てていたというわけだ。キリスト教に於いてもオーソドックスな教えでは大体、似たようなことを言っている。アダムが神に背いたときから人間は、ちょうど親とはぐれた迷子のように神から離れてしまい、そのため死の不安や恐怖を抱かなくてはならなくなったのだ、と。ではどうすれば集団ストーカー犯罪者らが集団ストーキングという世にも変態な稼業から足を洗えるようになるか?それは是非、上記ブログ「鬼和尚の仏教勉強会」で解決法を学んでいいただくことにして、再び冒頭の問いに帰りたい。

  臆病者はなぜ地獄に堕ちる?いつもながら、ここまで拙文をお読みいただいた奇特な、しかし聡明な読者の方には、既に答えは明々白々であろう。昔話「かっと石」の主人公は臆病を隠そうとしてマサカリという物騒な凶器を持ち出した。同じように己の臆病を根元から見つめ直し、退治する努力をせぬ者が、現代の「マサカリ」に相当する凶器、すなわち非公開の電磁兵器や、それにアクセスできる通信端末といった集団ストーカー道具を持ち出す。相手が反撃できない状況をつくり、何の落ち度も無い、一般市民にすぎない無抵抗の被害者に、肉体的および心理的拷問を加え続け、生活を破壊し、死に至らしめてきた。しかも、たった一人を相手に、ときに数百人規模のマインドコントロールされた大衆が加害を行なう。まったく卑怯極まりないが、いやしくも「卑怯者」とは「卑しく怯える者」と書く。やはり臆病者ほど卑劣な行為に走りやすいということか。

 この「卑しく怯える」者どもが、同じように臆病な権力犯罪者と徒党を組む。すなわち遠隔から思考解読器などで他人のプライバシーを窃盗し、弱みを握って脅迫する犯罪に頼ることでしか生きられない卑怯者の集団「コインテルプロ」犯罪者たちの奴隷として犯罪者の家畜のような人生を送る ― 神仏からも、道徳的にまともな人間からも見放され、もはや己を認め必要としてくれるのは、この権力犯罪者どもだけだからだ

 しかし臆病な者同士が何万人集団になったところで臆病者に変わりはない。集団になり気が大きくなることで、己の臆病を誤魔化しているにすぎず、「もしこれで共犯者集団から仲間はずれにされたら生きていけない」という別の恐怖心に苛まれ、犯罪が死ぬまでやめられなくなる。さらに集団でストーカー犯罪をやって「どうせ皆やってることじゃないか」と開き直り、死ぬまで罪を償うこともできない。だがしかしその肉体が死ぬときは独り、そして死んだ後も独り苦しむ現実から逃避はできない・・・
  
「端末を 肌身離さず 集団すとーかー デムパの届かぬ 地獄に墜ち泣く」

 さて、そのいっぽうで「集団ストーカー犯罪は、しない、させない、トボけない」人間こそは、今この世で最強の勇者であることは、もはや説明いらないだろう。

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Dhammapada


103、戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。

104/105、自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、___このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない


317 、恐れなくてもよいことに恐れをいだき、恐れねばならぬことに恐れをいだかない人々は、邪な見解をいだいて、悪いところ(地獄)におもむく

319 、遠ざけるべきこと()を遠ざけるべきであると知り、遠ざけてはならぬ(必らず為さねばならぬ)ことを遠ざけてはならぬと考える人々は、正しい見解をいだいた、善いところ(天上)におもむく




関連資料映像:The Soviet Coup: Day One, August 19th 1991