Wednesday, August 3, 2011

目を覚まそう

仏教の無の観念は決して単純ではない。
それは無をも否定する、有無を超越した無といわれる。
凡人はこれを理解せずに、無といえば有に対する無を考える。
だから、自己の死を、世界から自己の姿だけが脱落した光景に比して恐怖する。そのような光景は人がいまだ生きている限りにおいて存在し得るものにすぎない。有無をこえた無、ないし死は、眠りにたとえられるだろう・・・。

知識人は死後の世界を有ととらえることを過ちを犯すことと考えてしまう。しかし世間は虚仮である・・・われわれは生きている限り虚仮のなかにいる。なぜ今さら過ちを犯すことを恐れる必要があろう。ニーチェもいっている、なぜむしろ虚妄への意志がないのであるか、と。
(p.p.131-132)

「三界と六道」 定方 晟(あきら) 『死とはなにか』所収


さてここで本ブログ第一回目の投稿を振り返ってみたい。


“臨死体験は当初、逸話を集める形で始まったが、いろんな調査を試みた結果、体験の存在自体は疑いようがなく科学的研究として認められるようになった。最近では医学・心理学関係の純アカデミカルな学術研究論文雑誌にも臨死体験の論文がかなり出るようになってきた。実体験者は「それは夢や記憶の想起ではなく、外界に確然と存在したものを認識したものである」と言っている (立花隆)。”

つまり、死後の意識は寝ぼけている状態で見た世界みたいなものなのだが、実は今、この瞬間、我々が現実と想っている「現実」もまた死後の意識と同じくらい寝ぼけながら見ているようなものというわけだ。然れば、今、現実だと想っている「現実」が夢とは思えない多くの人には、死後の世界も今この瞬間に見ている「現実」と同じくらい現実に思えてしまうということだ。

そして今、多くの者が現実だと想っている「現実」は実は夢をみてるようなものなのだと、完全に覚めた目で見ることができる人のみが、「死後も無である」と胸を張って言えるわけだ。ブッダとは「目覚めた存在(覚者)」という意味なのも頷ける。


露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢

(豊臣秀吉)


色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず



(弘法大師)


<おまけ>



イスラム教スーフィズムの寓話:


昔、ひとりのスーフィーの修道者がいました。

彼は熱心に修行にはげみ、人からは聖者と崇められていました。


そんな彼の耳元で、神が囁きました。

「明日になったら世界中の水に、悪魔が毒を入れてしまう[筆者註:現代なら、差し詰めHAARPなどによるマインドコントロール電磁波か]。その水を飲んだ者はたちまちにして狂ってしまうだろう。だから十分に用心しなさい」


それを聞いた男は驚いて、一日がかりで水を汲み上げ、たくさんの水を蓄えることにしました。



そして翌朝、本当にそのことが起きていたのです。

村中の人が毒入りの水を飲んだことで、みな狂ってしまいました。


しかし彼らは自分が狂ったことに気が付いていません。

みんなが同じように狂っていたからです。


しかし、一人だけおかしな男がいました。

あのスーフィーの修道者です。


村人たちは彼を警戒しました。

聖者だとばかり思っていた男が、どうやら気がふれてしまったようなのです。

村人から見ると、その男一人が狂って見えました。



しかしスーフィーだけは、いったい何が起きたのかその全貌を知っていました。

だから村人たちにもその真実を聞かせようと努力したのですが、誰も本気にしません。


「あいつは何を言っているのか。俺たちが夢を見ているって?俺たちが狂っているって?そういうあいつこそがおかしいくせに」


村人たちは、悪魔の水を飲む前のことをすっかり忘れてしまっていました。

彼らにはスーフィーの言うことがどうにも理解できませんでした。

彼は理解を超えていたのです。



そのうち村人たちは、彼を捉えて牢屋に幽閉しようと計画し始めました。

そして一行が彼の家を取り囲みました。


それを見たスーフィーは、もはやこれまでとばかりに村の水を飲むことにしました。


そして正常(?)に戻ったのです。


村人たちは、そんな彼を見て大喜びしました。

やっとスーフィーが正気に戻ったからです。

しかし実際には、彼も一緒に狂ってしまったのですが、とにもかくにも彼は社会の仲間入りを果たすことができました。


めでたし、めでたし。


・・・・・・・


みんなが夢を見ている社会(筆者註:Mass Mind Controlled Society)で生きていれば、自分が夢を見ていることに気づくことはありません。

それが、僕たちが置かれている状況なのです。

(ブログ"いまここ"より転記) スーフィズムの寓話