Sunday, July 24, 2011

絶望のないところに救いもあるものか

(やりたい放題に多くのものを苦しめておきながら、

阿弥陀佛に会ってみたいと、形だけの出家をした虫のよい

悪党を、眼光鋭い老僧が一喝する)

「ははは、いい気なものよ。・・・なんじはおのれ

一人の求めに急なあまり、これまで一度として、

うしろをふりかえってみたことなどあるまい」

「うしろ?」

「その手で殺し、大けがをさせ、泣きをみせた人や

けだもの、幾十幾百の怨恨と悲嘆を、錘さながら曳きずって

ゆくかぎり、浄土は遠いわ。してのけた悪業をしんそこ懺悔し、

おのれ自身の恐ろしさ、むごさ、恥ずかしさ、救われがたさに、

絶望しきったときはじめて、信仰はなんじの心に生まれるのじゃ。

絶望のないところに、救いもあるものか」


(阿弥陀佛に逢ってみたいと出家した虫のよい

悪党・源太夫へ、眼光鋭い老僧の一喝は続く)

「・・・求めるからには苦しむがよい。怖れがなく悔いもなく、

悶えもしない心で、 何を求めたとて与えられはせぬわ」

「そうだ。その通りだ」源太夫はうめいた。

「おれはとんでもない外道だ。悪鬼だった。往生をのぞむなど、

考えてみれば虫がよすぎた。

浄土どころかこの先、行く手に待ちうけているのは、

まっ暗な地獄でしかあるまい。・・・おそろしい。

行きたくないが、してのけた悪事を思えば、罰は当然かもしれぬ」

  土をかきむしって源太夫はむせび泣いた。老僧の一喝は、

強情者の我意をうちくだいた。

~「白い蓮」 杉本苑子『今昔物語ふぁんたじあ』所収

うつせみのはかなき世とは知りながら
蓮(はちす)をねがふ人は稀なり
                             藤原公実

さてこの源太夫がその後、救われたのかどうかは是非小説を
読んでいただきたい。

ところで集団ストーキング犯罪の原型、ギャングストーキングの本家本場アメリカでは、信じられないかもしれないが、国民のほとんどが集団マインドコントロールにかかり、「危険人物を懲らしめるため」などという権力犯罪者に都合の良い陳腐な妄想で洗脳されて集団発狂し、毎日毎夜、老いも若きもギャングストーキングという変態犯罪に夢中になっている。

正式名称をCOINTELPROという、この集団ストーキングの原型を考案したFBIは各国の警察組織にもその手法を伝授しているとのことで集団ストーキングという犯罪自体はすでに多くの国で見られるが本家アメリカのギャングストーキングの特徴としては、NPOが公表した全米被害総数40万人という数もさることながら、加害者になる人間が更にその数十倍は下らず、被害者数よりも加害者数が圧倒的に多い点が際立つ。すなわち世界一病んだ、文句なしの集団ストーカー天国なのだ。証拠が取りにくい陰険な方法で被害者を拷問しては笑いものにし自殺させておきながら「すべては偶然」だと卑劣な大ウソを吐いて責任を逃れる。それをゲームのように楽しみすでに大衆の娯楽にさえなっているほどだ。
 
自分さえよければ、或いは法で裁かれさえしなければ、何をやってもいい、それどころか、うまく世間を騙せるのが有能さの証しとさえ考えるのが平均的アメリカ人の価値観にもなっている。

ともあれ善人も悪人も、皆最後には死ぬわけだ。このギャングストーカーになる者達のように、一生改心もできず人類史に恥と汚点を残しながら死んでいき、あとは地獄など行きたくはないところに、為す術もなく赴くだけの、心の弱い生き方・死に方を仮に「さいこぱす型」人生と呼ぶとしよう。(ネーミングはどうでもよいので皆さんの好きな名前をどうぞ)物質に譬えれば放射性廃棄物みたいなもので生態系すべてから忌み嫌われ、拒まれ、その半減期は恐ろしく長く、地球というこの惑星が爆発消滅する日まで孤独に留め置かれると考えられる。

一方で集団ストーカーのような人の道に外れた変態犯罪をやるのは意地でも拒み、まっとうな生き方を貫き、再び人間界や天界に生まれる可能性の高い生き方を桜の花が散っても時が来れば再び木に花をつけるのになぞらえ「さくらさく型」人生と名づけるとしてみよう。散った桜の花びらの物質が生態系を循環して再び花として咲くように生まれ変わるから「さくらさく」だ。

繰り返すがネーミングはあまり重要ではない。どうせどんな卑劣な悪人でも、前者(サイコパス型)に自分の嫌いな人間像を重ね合わせ、後者の善人像に自己のイメージを重ねる、そしてもしそれを他人から否定されようものなら憤慨する・・長年、多くの集団ストーカー実行犯を観察してきたうえでの推測だが、違うだろうか?
 
話しを元に戻して、この生き方の違いこそが、ギャングストーカー犯罪に協力する加害者の推定人口比率が世界一高いアメリカと、一方で加害者にはならず世の巨悪を一身に受けて自殺する者の数が異常にめだつ日本との対照に反映されているのではないだろうか。
ちなみに日本人や日本人と同じような顔をしているシナ人や朝鮮人でも、あるいは反対に似ても似つかぬ顔した人種であっても、どちらの型になびくかは、モラルが高いか低いかで決まるのであって、国籍や民族が重要なのではないことは、このシリーズ「集団ストーカーの死」の熱心な読者諸兄は、もうおわかりだろう。
 
さて前者(さいこぱす型)のように罪なき人を苦しめ殺し責任も取らず、「自分は関係ない」と卑劣なウソを吐いたまま死ぬ卑しい生き方・死に方では死後、地獄など悲惨なところに赴く確率が高いことは聖書でも仏典でもコーランでも明示されていて、あるいは六道輪廻で説くなら、せいぜいよくて餓鬼道の亡者か畜生に生まれ変わるくらいしかないといったとこだろう。人間に輪廻転生し復活するなんぞ100億年早いわ、というわけだ。
よって人類が滅ぶまでに「人間の生(つまり人生)」を味わえるのは実質的に今回かぎりの可能性が高い。だからよく「人生一度きり」などと言ってる人には、気をつけたほうがいい(笑)

それに対し、たとえばウソは言わないよう努めている者は、たったそれだけの努力でも死後は天界に赴くことができると釈尊は説かれた。ならば、モラルの高い人間が、天界より下位の人間界に転生することはもっと容易いはずだ。

さてここから一気に話しを個々人の一生から人類全体へと移してみよう。畢竟、己の欲望のために他人を苦しめ、人を騙しながら生きる集団ストーカー犯罪者のような生き方が適者生存において勝るなら、自然淘汰により人類はとっくに犯罪者とウソつきだけになっているはずだが、そんな世は一度も現出していないのはなぜだろう?実際、ヒトラーやシュタージ、スターリンに毛沢東、ポルポトなどに洗脳され凶悪卑劣の限りを尽くした無知な大衆の世はいずれも長くはつづかなかった。

現在のアメリカの「ギャングストーカー天国」もまたしかりであろう。いくら権力犯罪者らが集団でワル知恵しぼり組織的な謀略を永らえようとしても、或いは一定期、大衆の大半が集団ストーカー犯罪者という卑劣で卑怯な犯罪集団と化し、その道徳レベルが堕ちるところまで堕ちても、不可思議なことに世代が変われば、ゆり戻しが起こり、リバウンドするが如くいつのまにか全体の道徳性を回復している。人類史とはこのダイナミズムの繰り返しのようでもある。

どうしてこのようなサイクルがあるのかを熟考するに、やはり人間にふさわしい心をしたものだけが人間として生まれてくるという因果応報の規則に基づいているためではなかろうか。つまり集団ストーカーたちのように人の道に外れたことをやって富や権力、名声を得たところで、彼らの人間としての生は、ほとんど「これ一回ぽっきり」のようなもの。淘汰され、後(来世)が続かない。

ところで、この人間界からほとんど永久に近い「退場」(つまり淘汰)を強いられる連中と比べると、これから人間として生まれてくる命は少なくとも彼ら集団ストーカーよりは道徳性はマシだ。しかし中には成長するにつれ、やがて心が穢れ、集団ストーカー犯罪者になる大衆も出てくる。

こうして善人と悪人の数のバランスは周期的に循環しているのではなかろうか。

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ある人々は人の胎に宿り、悪をなした者どもは地獄に墮ち、
行いの良い人々は天におもむき、汚れの無い人々は全き安らぎ(=涅槃)に入る。

『ダンマパッダ』126

善い領域(=天)におもむく人々は少ない
悪い領域(=地獄など)におもむく人々は多い。
このことわりをあるがままに知ったならば、安らぎ(ニルヴァーナ)
に専念するものとなるであろう。
『感興のことば=ウダーナヴァルガ』26.8

真実を語れ。怒るな。請われたならば、乏しいなかから与えよ。
これらの三つの事によって(死後には天の)神々のもとに至り得るであろう。
Dhammapada224

「すべて偽りを言う者には、火と硫黄の燃えている池が、
彼らの受くべき報いである」
(黙示録21:8)
 手むかうことなく罪咎の無い人々に害を加えるならば、次に挙げる十種の場合のうちのどれかに速やかに出会うであろう、___
(1)激しい痛み、(2)老衰、(3)身体の傷害、(4)重い病い、(5)乱心、(6)国王からの災い、(7)恐ろしい告げ口、(8)親族の滅亡と、(9)財産の損失と、(10)その人の家を火が焼く。この愚かな者は、身やぶれてのちに、地獄に生まれる
Dhammapada 137140

 
  嘘を言う人は地獄に堕ちる。また実際にしておきながら
「わたしはしませんでした」という人も同じ。両者とも行為の卑劣な人であり、
死後にはあの世で同じような(地獄に堕ちる)運命を受ける。
Sutta Nipata 661